#鶯の音色

僕は田舎町に住んでいる。

ベランダに椅子を一つ出してあって、いつもタバコをふかしながらそこでホタル族にふけこんでいる。

景色の眺めはよくない。
目の前にまたマンションが建っていて、見晴らしは効かない。

若干の空が見えるだけだ。

時々車の音はするが、
いつもは静かな環境だ。

目の前にマンションが
建っているので感動する景色もないわけなので、タバコをふかす為だけの指定席だ。

ただ時折、満天の星が出ると
うわーって声をあげたくなる時も年に数回だが、それ以外は何もない。

今日は休みなのだが、早く起きたのでベランダに出ていつものようにタバコをふかしていた。

朝早いので静かな空間だ。

するとそこに鶯がせわしなく鳴いてきた。

静かな空間に鶯の声だけが響いていた。

最初は春だなーと感じていたが、あまりにも鳴くので耳を傾けていた。

やがてタバコも吸い終わり、
部屋に入ろうとするのだが、
あまりに鳴くので、暫く椅子に腰掛けて目を閉じて耳を傾けてみた。

すると不思議に思えてくる。

この鶯は自然界に何の意識もなく鳴いているのだろう。

決して僕に聞かせるために
鳴いてくれているのでは無いが、しかし僕に聞かせるために神様が僕のそばに来させて囀らせているととっても悪いことでは無い。

すると昨日会社でタヌキの
ケンカを見た事を思い出す。

僕の会社は森の中にある。

裏の山からタヌキが2匹走って会社の駐車場まで降りてきた。

1匹は逃げて、1匹は追いかけている。

逃げているタヌキは側溝の中に逃げ込んだ。

追いかけているタヌキは、側溝の入り口で止まり、ギャーギャーと騒いでいる。

僕の目の前5mくらいの所での出来事だ。

普通人間がそんなそばにいるなら近寄らないだろうが、あまりのケンカの激しさに、周りが見えなくなっていたのだろう。

それもまた、たまたま出会したと思えばそれまでだが、
それも見させられているという捉え方をしたら、人生は結構楽しいのではないか?と思えるのだ。

例えば道路を車で走っているとしよう。

舗装されているし、ガードレールもある。

事故をしないように信号すら付いている。

それらは税金で何百億円という大金で国が整備していると思うのは誰もが信じて疑わない。

だが、そうだからと言って、その様に捉える必要もなければ決まりもない。

僕だけの為にその整備した環境を作られていると捉えてもいいのでは無いだろうか?

まるで王様の気分になれる。

その道路が整備されている理由などどうであろうが、その道路を利用している事実には変わりはない。

ならば王様気分で利用したほうがいいに決まっている。

そうやって物事を捉えて生きていくと結構面白いことに気がつく。

コロナで自粛モードと気分が冴えない等、みんなマスコミと波長を合わせているが、
それに乗っかる必要すらない。

当たり前のことで考えすらしないものに、何かみんな忘れているものがある。

空気の存在も無くなれば、みんな生きていけないほど重要なのに考えた事すらない様に、甘い桃や苺みたいなものが、あの茶色の土から生えてくるなんて本当に不思議でならない。

しかも甘いのだ。

何にも無いと思っているみなさん。

実は何でもある、何でも持っていると思い生きているほうが幸せだと思いませんか?

そんな事を鶯から教えてもらった気がしてならない。