ある時、娘夫婦が面会に来てくれが、面会時間では無いため、入口付近のちょっとした
ベンチスペースで顔合わせをした時のことだ。
婿さんのお父さんも見舞いということで来てくれた日だ。
お父さんと挨拶を交わし、
年始に行けなかったことや、
ありきたりの会話を交わして
その場で別れた。
この時、その小スペースに
私達以外に、別の方も一人
ベンチに座っていた。
40ー50代の女性だった。
その日の午前中の話だが、
また時間を潰しに僕は憩いの広場に行った。
広いスペースに一人しか人はいなかった。
見ると、何と朝見かけた女性だった。
あれから何時間も経っている。5-6時間は経過しているのでは無いだろうか?
僕は思わず声を掛けてしまった。
『朝、入口側のベンチスペースにいらっしゃいませんでしたか?』
『はい』
『どなたか救急で運ばれたんですか?』
彼女は滑舌が悪く、いや障害で言語に何かしらの影響が出ている人なのかわからないが、言っている事がよく聞き取れない言葉で返してくる。
何やら88歳のお父さんが倒れ運ばれてきたらしく、集中治療室に入っているということだった。
肝機能か腎機能辺りの病気の様なことを言っていた。
色々会話を交わしていたら、
しばらくすると、主治医が現れて説明を受けるべく姿を消して行った。
彼女は滑舌が悪い。
彼女本人も何らかしらの問題がありそうだ。
更にお父さんが倒れ、かなり心配の様子。
どんな家庭なんだろう?
お父さんの連れ添いもかなりの高齢だろう。
いや、もういないのかもしれない。
妄想が膨らむ。
この家はこれから何やら
嵐の様な事が起きそうだ。
話が変わるが僕の病室は6人部屋で、現在僕を含めて4人いる。
みんな心筋梗塞のようだ。
その中で僕が1番軽い症状だろう。
そして僕も歳だが、他の人は
みんなおっさんだ。
これから何やら手術をする人や、家族に病状の説明を受ける人など色々だ。
会社役員の人も一人いるらしい。
何かの会話で『いや、うちの社員がね、』というフレーズをよく口に出す。
ここでは立場や役職など何も関係ない。
また別の人に看護士が入所した時の痛みと今の痛みは同じくらいですか?と聞かれていた時、いやあれ程酷くは無いよ。あれは地獄だからと答えていた。
僕は思った。
そうなんだ。
地獄だったんだ。
僕はそれほどでも無かった。
何でここに居て、こんな人生劇場を見ているんだろうって
思う。
長く休めている。
不自由の中の自由な空間。
色んなドラマが望まなくても見えてきたり、聴こえてきたり。
病院という空間。
僕はそこにいる。
そこに予期せず、ポツンと置かれている自分がいる。
苦しいとか痛いとか、それらと戦っているなら、そちらに集中していて、他は気にならない。
ところが至って健康でヒマを持て余している自分がポツンといる。
そしてそれを感じている自分がいる。
ここにいる。
ただここにいて人生劇場を見ている。