#ケーキを切れない非行少年たち

最近この本が売れているらしい。

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

  • 作者:宮口 幸治
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/07/12
  • メディア: 新書

これは非行少年というヤンチャな子供達は誤解をされているという内容であり、実は発達障害がほとんどだという内容だ。
私はこの本を理解するし、この非行少年達以外にもそれらを感じる事が多い社会だと思っている。

例えばもう25年位前になるだろうか?
新聞の隅に小さな記事があって、僕はそれを今でも覚えている。

北海道の小さな過疎化した村の文房具や駄菓子などを売っている商店のおばちゃんの嘆きの記事だった。

25年前の記事だ。

小学3年生位の子供が店に入って来て、店内をウロウロしている。
しかし狭い店内、ウロウロしなくても欲しいものなど直ぐに見つかる程だが、その子はそうした。

会話がないのだ。

痺れを切らしておばちゃんは
『いらっしゃい、何が欲しいんだい?』と聞いた。

返事がない。

ウロウロが止まり、鉛筆の前に足が止まった。

『鉛筆が欲しいのかい?』

すると少年はコクリとうなずく。

1本かい?2本かい?と聞くと、2本の所でコクリとうなずく。

1本20円だから40円だよ。と言うと、少年は黙って40円を出して買って行ったと言うエピソードだった。

昔の子供は元気よく入って来て、おばちゃんエンピツ頂戴!と言って入って来たものだと言う。

『もう学校は終わりかい?』と聞くと、『うん!』と答えたものだったという。

そうだ!買い物をするにも
会話というものがあった。

今ではスーパーでも、会話をせずにレジに並び、会話を交わさずとも買い物が出来る。

それは便利なのか?

便利と呼んで良いものなのか?

日常のささいな、その異常な子供達をおばちゃんは嘆いていたのだ。

そういう事は昔の人は直ぐに異常だと気が付いたものだ。

今ではそれも当たり前になってしまっている。

もうひとつ思い出した事がある。
アメリカだったかある教会で日曜にミサや参拝に来る人がめっきり減って、教会がそれの処置としてロックコンサートを日曜に開き、人々を集めているという記事だった。

もう何の為の教会なのかすら分からなくなってしまっている。

この本の著者も専門的にその分野に入り込み、特殊な施設まで言って、はじめてこの事実に直面している。

そして著者は専門的分野からこれは発達障害だと結論付けている。

それは間違いない。だが、医療の分野をもっと奥深く切り込んでいくと、そもそもその病名は言葉であり、事実は何かという事だと私は思う。

例えば癌でも切り取ってしまえというツギハギ医学だ。

何故それがそこに出来たのかは問わない。

僕は医療、政治、経済、教育、宗教、全てにおいて社会がおかしいと30年前から思っていた。

勿論意図的にされていることもあり、予期せぬ二時的、三次的に社会的現象で起きてくる障害もあると思う。

そういう障害はあらゆるジャンルで起きていると思っている。

そして真実を見えない様にメディアを通じて分からない議論を論じ、やがては本物とは何かすら世間は見えなくなってしまっていると思っている。

是非一度、興味のある方は読んで頂きたいと思う。

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

  • 作者:宮口 幸治
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/07/12
  • メディア: 新書