物が溢れている時代の終焉

今は物が溢れている。
欲しい物は大概、お店に行けば手に入る。
昔は高価な物でも、今は使い捨てになる程溢れている。
だがそれらも終焉を迎えようとしている。
サプライチェーンの崩壊と共に、あらゆる物が入荷しにくい状況になり、あらゆる物が高価になってきた。

不便と誰しもが最近感じているのではないだろうか?

だが考えてみて欲しい。
つい何十年か前は冷蔵庫や、洗濯機すらない時代だったのだ。

相当昔の話だろと思われるかしれないが、長い歴史の中で、僅か30-40年前はインターネットどころか、携帯すら皆んな持っていなかったのだ。
たった50年前には新幹線すら走っていなかったのだ。
歴史のグラフを想像してみて欲しい。
長い歴史の中で、この20-30年と言う時期の発展ぶりを。
何でも手に入る時代に急速に突入していったことを。

その急激な変化は歪みを生じるとも私は思っている。
そしてそれは波となり、また落ち込む波線を産むのは必然。

文明は全ては無くなることは無いだろうが、次に上昇する波線を描くには、何らかの修正が必要になると思う。

益々便利になった世の中なのに、益々人々は忙しくなり、生活も苦しくなり、幸せな人がドンドンと減ってしまったような気がする。

お金や物が全ての基準に誤解する様する様な刷り込み教育を始め、それらを信仰する人々が増殖した現代を建て直すには、一度建て壊しをしないとならないだろう。

物が無くなる時代が来ると、知恵や技術が幅を利かせてくるだろう。

2024年の運輸や建築の働き方改革により、さらにそれらの影響は大きくなるに違いない。
Amazonでポチっとするなんて
当たり前では無くなるし、家も建売り住宅や、新築を建てることなどなかなか出来なくなるだろう。

また大手の商業施設も閑古鳥が鳴いて、個人商店がまたチラホラ出始めてくるのではないだろか?

10年前誰が日本で韓国製や中国製の携帯を持つと思っていただろうか?それくらい目まぐるしく時代は動いている。

そして日本のメーカーと誰もが信じて疑わないが、ほとんど外資に買われていて、名前だけ日本の会社だと気が付いていない人が多すぎる。

もう、日本人は世界の奴隷になる様に、片足を突っ込んでいることすら知らない。
また、政治家も侵略されつつあり、その様な方向に仕向けられている事すら知らない人が多すぎる。

先人の大和魂で日本を守ってきた日本人に申し訳けが立たない。

武士は野蛮というが、その武士道に生きた人達は、汚職みたいな事を人一倍嫌ったのも事実なのだ。

武士は食わねど、高楊枝とあるが、そういう古来からの日本の精神は今カケラすら現代では見る事が出来なくなってしまった。