#心筋梗塞

2019年の年末に、ちょっと面白い体験をした。

病気に縁がない僕は、年末に救急車に運ばれ、心筋梗塞で緊急入院し、即刻カテーテル手術、一時は30秒程心肺停止状態になったらしく意識を失ったという。

これは他人が聞いたら驚く内容だ。

救急車とか、心肺停止とか、
意識を失うとか、心筋梗塞とか、物騒な話ばかりが先に来て、何やら穏やかには聞こえない。

ところがところがだ、自分側からしたら大した話ではない。

通常、心筋梗塞というものは
誰もが苦しむらしい。

僕はちょっと胸に違和感があるので、まぁ若干の痛みもあった。だが息が出来ないかというと深呼吸すら出来る。

病院に行こうとなったが、
年末どこに行けばいいか
わからないので、救急車という運びになっただけだ。

今度は病院に着いてからだ。
救命救急の人達が取り囲み
あーだのこーだの言っている。タンカ上の僕に、
急遽手術をするし入院だから
そのつもりでいて下さいと告げられ、素っ裸にされながら移動している。


こちらは『えーっ!』

心筋梗塞なので鼠蹊部からカテーテルを心臓まで入れるからという説明を聞きながら、
言葉のキャッチボールをしながら移動中、意識を失い心肺停止になり、よくドラマで見る機械の波はツーっと一直線になったのだろうか?

でも僕的には、みんながバタバタしていて、最後は電気ショックを当てられている事を覚えている。

あれは相当なショックらしく、看護婦さんや周りの人を遠のけてからバンッ!とやるらしい。

僕は全く感じない。
ただ映像を見ているだけだ。
みんなは気を失ったと思っているが、僕は意識がハッキリしていた。

また幽体離脱の様な上から
見下ろしているのではない。
全く身体の場所に僕は存在している。

ただ不思議なのは、病室や
手術室の中が白く光り輝いているということだ。

その中で僕は映像を眺めている。

うーん、この映像という表現が誤解を招くかもしれない。

夢の中の映像というか、例えばこの時は、目の前をジッと見てから目を閉じてしまっても、目の前の残像が分かるようにと表現すればわかるだろうか。そんなイメージだ。

まぁ、だから言いたいことは
みんなが言うほどの痛みではなかったということ。

救急車もそういう理由でチョイスしただけであって、倒れ込んで運ばれたわけでもない。


29日の夜運ばれて、
30日の昼にはもう歩けるし
普通に自分は戻っていると確信しているが、病院がそれは信じないし許さない。

心臓のリハビリとやらをしないと帰してもらえないらしい。

だけど年末年始であり、理学療法士とやらが休みらしく、
1月6日迄はダラダラと看護師さんと心臓のリハビリをしていくというスタイルだ。

自分的には大したことが無いが、周りの患者を見ると、かなり大変そうな患者が多い。また、話を聞くとかなり大変なストーリーを語る。

それもあってか、僕からすると何故かVIP待遇を受けているイメージだ。

例えば病室を出た目の前にトイレがあっても、そこまで車椅子移動とかだ。

それならまだいい。
トイレすら行くことを許されなかったくらいだ。

レントゲンに行くにも、
相手が機械ごと病室まで
持って来るというスタイル。

何か自分は一体どんなヤバイ病気になってしまったのか?というほどだ。

今は何とも言えないが、これから大変な病気を抱えて生きていかないとならないと覚悟した方がいいと言われる。

ただ僕は幸せである。
幸せであるが故に、今回も
心肺停止の時、あと数秒で死ぬこともありましたよと言われ、出来ればそのまま逝かせて欲しかったとも思う位だ。

人間、今日は死ぬのに持ってこいの日だという時がある。

まぁ、それも許されず生き返ったなら、それはそれでありがたい話だが、この世にそれほど執着も無ければ、生きたい、死にたいもない。

なればなった様にである。

自然界に生きていて僕らは何も決めれない。

なった様に受け容れるしかないし、またそうあるべきだ。

まぁ長い休暇になるし、
優しい若い看護師さんに優しくしてもらえて、それもまた嬉しい話だ。