僕は飛騨の森の中で住んでいる。
だから毎日森の中の木々達を見ている。
今回入院を強いられ、横浜の病院の窓から外を眺めるしか出来ない僕は、景色を眺めるたびに思う事がある。
それは街並みを色付けしている街路樹達だ。
みんなそれらの木々達を見て
緑はいいなぁと思うのだろうけど、僕の目にはその様に映らない。
彼等に心中お察し申し上げますと言いたい程、その様な眼差しで僕は彼等を見ている。
気が全く違う。
木=気が違う。
その違いはみんなわからないだろうなぁ。
帰る前に、その木に触れて
ごめんね、そしてありがとうと声を掛けていこう。
君らは僕が誰なのか、すぐに理解するだろう。
森の中から来た事も語らずにわかるだろう。
それは木々達に限らず、スモッグの霞にかかった星や、ポカンと浮かんだ雲、緩やかに流れている風ですら、車の往来に遮られている君らも一瞬で理解するだろう。
木々達の事を思うと、月がこれでもかというほど輝いて返事をしてくる。
そこに星達も輝きの余韻を手伝う。
風がスモッグの霞を払い、
凛としたそのものの姿を示す。
同志達よ。
僕はここにいます。
ありてある者達よ、
僕は週末、
森に帰ります。
ありがとう。