乗鞍に仙人がいるなんて
誰も信じないだろう。
いや仙人そのものを誰も信じないだろう。
それでいいのだ。
見る事も聞く事も許されないのだ。
つまりは会うことなど、もってのほかだ。
僕は以前、皆神山に行って
カエルの偵察に会い、風もないのに木々のざわめきに会い、侵入者扱いされた事がある。
それは何かの行事の最中だったのかもしれない。
カエルに挨拶を申し上げ、
その地に足を踏み入れた。
何事も無く帰らしてもらう事が出来た。
時として神や、それらの霊的な者達は姿を変えて私達に接触してくる。
私達がそれを認識していないが故にお会いすることすら許されないのだ。
そして、それは低俗な者達もいれば、崇高な者達もいる。
コンタクトをとろうとする必要はない。
必要なれば会わなければならない様になるし、会話を交わさないとならなくなる。
しかしそれらは危険だ。
いつも如何なる時も、自分の立ち位置を己が知らないとならない。
時間空間を超えた世界。
意識の想念界の立ち位置を知らないとならない。
見るもの、聞くもの、全てが言語であり、神の声だと誰も知らない。