心肺停止と意識が飛ぶということ。

僕は心筋梗塞で入院、即手術

その時、30秒程心肺停止状態になり、意識を飛ばしていると医師から教えられた。

ところが僕は覚えている。

確かに言われたその場面、
意識は薄くなっている。

僕は白く輝いた病院に居て、
手術を受けている。

タンカに乗った僕は当然天井を眺めている。

つまり、病院の廊下から、
手術室から、病室から全ての天井が白く輝いていた。

幽体離脱の様に上から自分が自分を見ているのではない。

あくまで自分の身体のある視線上から眺めている。

ただ痛みは全く消えていた。

電気ショックで何度も胸に当てられた事も見ているが、
一切感触を感じない。

音声の無い映画を観ている様だった。

あれから約10日が経つ。

僕は色々考えてみた。

そして答えを出した。

確かに意識はそこの部分だけ
飛んでいる。

しかし意識は飛んでいるが
覚えていると言った方が正しいかもしれない。

心臓マッサージをされている事も覚えているし、電気ショックを受けている事も覚えている。

でもそれは映像であって、感触は一切ない。

記憶は無いが覚えているという表現が一番適していると感じる。

ただ、そんな事今まで経験をした事が無いので、その表現に違和感を感じるのは言うまでもない。

それは聞いている方が違和感を感じるのは理解出来るが、
話している僕も違和感を感じて話している。

キツネに包まれた様な話とは
こういうことでは無いだろうか?

全てが半信半疑だが、
全てが明瞭に覚えている。

もうひとつ特徴を言うと、
白く光り輝いていたと言ったが、天井には電気が付いているから眩しく見えたのでは無いか?という事も言える。

だが、白く光り輝いていたのは、壁と天井の境目、つまり角が一番強く輝き、天井と壁の境目が光でわからなくなるほどの光り方だ。

電気は通常、天井の真ん中に付いている。

勿論電気も光っている事は認識している。

ところが電気の光り方よりも
光が強い。

なんせ、天井と壁の境目がわからない位なのだから。

最後に繰り返す。

記憶に無く、意識が飛んでいても、覚えているという事はどうやらあるみたいだ。