#真実と嘘の違い。

よくどちらが真実で、どちらが嘘なのかという議論がある。

ちょっと説明出来ない領域に入るが、もはや言葉というツールでは表現出来ない。

真実も嘘も実は無いのだ。

どちらを信じてそちら側に立ってみたところで、そちらに立っている人それぞれまた違う真実や嘘が分かれてくる。

言いたいのは、自分がその様に感じたそこが貴方の立ち位置なのだ。

世の中は自分が信じている通りに動かない事ばかりだ。

逆に言うと、信じていなかったとしても、反対になる流れもある。

では信じるとか信じないとは何だろう?

私は
この件に関連して、良いとか悪いも無いと言っている。

しかし、みんなはそこを毎日決断したり、判断したり、ジャッジする癖がついている。

その様に幼少の頃から習ってきた教えだからだ。

うまく説明出来ないので、ひとつだけ例を挙げよう。

ある田舎の女子中学生の話だ。

田舎なのでここは高校は二つしかない。

進学しやすい進学校と、俗に言うバカ学校と言われるところだ。

受験を迎えて、この子は友達と同じ進学校に行こうねと約束をして、一生懸命に勉強に励んだ。

そして受験の結果、数人の友達は見事進学校に受かった。

ところが、自分だけはわずかの差で落ちてしまったのだ。

この時のこの子の気持ちを考えてみて欲しい。

思春期の女の子がいつも遊んでいた女の子数人がみんなそちら側に行って、自分だけバカ学校という所に行かないとならない。

こんな残酷な事はないし、彼女は毎日泣いた。

しかしバカ学校しか残っていないのだから、行くしかない。

この時彼女は最悪な気持ちで一杯だったはずだ。

世間もこの話を聞いたら、残念だったねとか、可愛そうと聞こえてきそうな話だ。

そうして高校生活は残酷に始まり3年が過ぎる。

次は大学受験だ。

進学校に行った子達は競争が激しく、毎日勉強と闘っている。

1-2ポイントの差で泣いたり喜んだりする。

そうして仮に勝組になった子達は大学に進学する。
しかし田舎の学校だから、名もない地方の大学だ。

一方、バカ学校に嫌々行ったあの子はバカ学校とは言え、わずかの差で落ちたから、いつもトップクラスの成績だった。

そんな事もあり、上位十位までは推薦で試験もしなくて進学が出来ることになり、更に進学した学校は地方の大学ではなく、東京の立教大学にノーパスで入れた。

この時の彼女はラッキーという気持ちだろう。

ここで考えて欲しい事は、最悪だとか、ラッキーだとか感情がその時その時で動かされていて、その時は真剣にそう感じている事だ。

ちなみにここだけの話を切り出したら、めでたし、めでたしだ。

ところがこれはエンドレスで続く。

今度は会社に入社出来るかどうかということだ。

仮に世間的には一流と言われた会社に入ったとして、それがどうしたの世界と言いたい。

どこに属しているかではないとわかるし、その一流とは誰がいうのか?という話だ。

また、そこだけ切り出せば、良いとか悪いとか評価は出来るが、立教に入るにはバカ学校に行かないと入れなかったという事実もあるわけだ。

だから真実など、何を持って真実と言うのか?と言いたい。


では感情とは何だろう?

冒頭に話した、真実と嘘でもそうだが、そう感じたそのものがその人の立ち位置なのだ。

事実とは感情とは全く別のものだと言いたい。

そこで感情とは何だろう?

自分が判断して決断していると思っているが、ではその自分とは誰だろうか?

幼少の頃から教えられた通りの基盤で物事を判断したりするのは自分だろうか?

学ぶ=真似ることだ。

過去の何かを真似ることでしかない。

今一度考えてみて欲しい。

自分とは誰かを。