世の中はコロナの関係で、夜の街外出自粛令を出した。
それは人間の都合の考え方であって、夜の街を出ないようにしたところで、昼にかからない理屈は見当たらない。
ウィルスは昼に活動をしないという根拠は何もない。
それをするなら昼も同じ対策を取らないと意味がない。
しかし昼は仕事を中断しないとならないから、国が機能しなくなるのもわかる。
だから、せめてもの対策で夜の街だけでも感染の可能性を少なくするという気持ちもわかる。
だが、夜の街の商売をしている人からしたら、それは全ての機能が止まる事を意味する。
いずれにせよ、理屈はどうでもいいのだ。
本来の必要不可欠なもの以外は要らないという神様からの思し召しではなかろうか?
衣食住以外、要らないものがありすぎたのでは無いだろうか?
株価の暴落や、不動産の暴落、物の不足、あらゆるものが話題になった。
マネーゲームをしている人や、グルメにインスタなど、
本来は必要ないものに、必要の無い情報。
もう一回、原点を見直す時期にきている。
お金という紙切れと、膨大な情報のゴミ。
本当に価値のある物は、目の前に存在している『そのもの』なのだ。
わら一本の革命という農業の本を書いた人がいる。
化学肥料に農薬と使いまくり、段々と土地が痩せていく様、また、農業の従事者が農薬で肌が荒れていく様をおかしいと思った筆者は、独自で試行錯誤しながら、本来古代からそんな物はなかったと気がつく。
そのまま放置して、草はボウボウの中に作物が同居していく農業を見つけた。
彼は土がダメになっていたんだと気が付く。
そしてそんな中で作物が育っていく様を目の当たりにする。
そして思うのである。
なんだ、最初からそうだったしゃないか!
何にも変わってないじゃ無いか!
変わったのは見る側の概念だったのでは無いか?と思うのである。
そこには何にも変わっていない畑で、途方もない喜びと歓喜に包まれる。
そうだ、何にも変わっていないのだ。
最初からそうだったのだ。
雨は農家では喜びの雨となり、サラリーマンには嫌な雨になる。
しかし雨はただ降っているだけである。
見る側の概念でよくもなり、悪くもなる。
全てがそういうもので出来ている。
わらを眺めて、人は何も考えもせず気にも止めない。
だが、本当の価値は目の前の『わら』に物凄い価値があるのだ。
汗をかかずに、マネーゲームで収入を増やそうと考える人は淘汰されていくだろう。
動く事が、動けることが、
または考えることが、そうしてあげたくてさせていただける事が物凄い価値があるのだ。
損か得かではないのだ。
ありのままを見つめて、ありのままを認めるということが、いかに価値があることなのかをもう一度見直す時だと思う。
みんな概念で生きている。
本当の事に気付いたら、なんだ最初からそうだつたじゃないか!と思うのである。
しかし他人から見たら何も変わってはいない。
目の前に広がる世界は何も変わってはいない。
自分が生まれ変わったのだ。
そんな事をみんなに提案したくて、記事にした。
- 作者:福岡 正信
- 発売日: 2004/08/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)