気付きとは何か?
これはある程度、深い洞察力が無いとわからないだろう。
または理屈で悟りを学んだ人は理解出来ないだろう。
それは例えばお湯を注ぐ音と、水を注ぐ音が違うということに気付きが起きる事に似ている。
文字をテキストという概念から離れた見方は、筆を使っている文字に、生きた何かを感じる。
梅雨の雨と秋雨は音も空気も醸し出すものが違う。
それらは日常的に転がっているものであるし、何ら生活には関係ないものの様に思える。
この違いに意識せずとも、
生活にどうと言うことでは無い。
しかし、
それに気が付いているか?
ということである。
それは何かに心を奪われていては、到底気が付かないことである。
その心の立ち位置に自分はいるのか?ということである。
しかし立ち位置を気にしていては、それらは見えないし、
聞こえない。
無意識にして、そこに居ないとならない。
そこに居ながら、本当の自分はそこにおらずと言うことだ。
見ていて見ていない。
聞いていて聞いていない。
生かされていて生きても無ければ、死んでもいない。
そんな生き方をみんなしている事すら気が付かない。
自分が決断して判断して、
自分がそれらをしていると思い込んでいる。
ただ在るという事実と奇跡をみんな当たり前という思考でさばいている。